吾輩は猫(好き)である。
猫好きであるが故に、飼い主のいない猫と共生できる街づくりや保護活動 (行政機関等から猫を引き取り、飼育希望の方に譲渡する等) に取り組む動物愛護推進の情報を得る事が多い。すると必ずと言っていいほど、反対意見にも触れることとなる。 例えば野良猫を人間生活への害獣として駆除する方々の論理。農作物への被害、近隣での鳴き声や糞尿被害等の迷惑行為は確かに日常における当事者でなければ分らない事もあるかもしれない。
こうした地域社会における動物愛護に対する姿勢の違いだけでなく、世界には犬食や鯨食、ジビエなど、見方によっては野蛮とさえ指摘される食文化もある。 これは、宗教あるいは生きる為という切実な環境下を除けば、動物と人間の共生社会への価値観の違いではないだろうか。ただ、残念なのは、一部で "違い" を文明論における優劣や人種差別の材料としていることだ。
唐突ではあるが、弊社では企業理念における価値観(core value)の一つに「一人ひとりの個性と能力をはじめ、社会の多様な価値観を理解し、尊重すること。」を掲げている。 国境のないネット社会は勿論、グローバル化した現代社会では、文化や価値観の違いに困惑することも少なくない。 違和感のあるモノやコトを単に排除し、同質の環境(ある種のムラ社会)のみで生きていくことも否定はしないが、私たちはまず、相手の文化や価値観の理解に努め、尊重することで互いの接点を見出すことや、より価値のある合意形成を図る方が発展的と考えているのだ。
現実は言葉で言うほど簡単にいかないが、書き出しを「吾輩は猫…」とした理由…。 口語の文体が固くて、現代文学になれてしまっている人には読み難いかもしれないが、100年以上も前に書かれたこの小説、改めて読み返してみると、「一人ひとりの個性と能力をはじめ、社会の多様な価値観を理解し、尊重すること。」の意味と大切さ思い知らされる小説であった。