情報リテラシー
最近、新興国からの観光客モラルを疑う報道、議論があるが、これは高度経済成長期に我々、日本人が経験した事と同じである。 やがては新興国の国民も経済成長と同時に国際化社会におけるモラルを学び得ていくものと思われるが、先進国に相応しいモラルを得たと言われる我々も、また新たな課題に直面している。 それは、ネット社会と言われるようになった現代では、情報モラルが問われていることだ。 周囲とのコミュニケーションは勿論、育児、学習、進学、就職活動、会社生活、消費購買行動、金融資産の移動など生活の利便性向上にはネット市民であることが当然のように要求され、犯罪や侵略行為さえもアナログからデジタルへシフトしている。 治安の良い日本では、性善説(本来の意味は異なるが)文化が前提であり、リスク管理が甘いと言われるが、ネット社会に明確な国境はないうえ、ハザードを抑止する制度、方法も少ない。
プロパガンダを含め、信憑性の高いメディアからの情報を素直に受け入れる事に馴れていた人々が、あらゆる性質の情報が溢れるネット社会で、自身の判断基準で情報を取捨選択することを迫られるようになった。更に、容易に情報発信ができることから、人の想定を超えた拡散も起こり得る。実際、瞬く間に市民権を得たソーシャルメディアでは炎上事故と呼ばれる事例が後を絶たない。
パラダイムシフトが明らかである情報化社会においては、一市民の行為にも情報リテラシーが必要とされる。 例えば車の運転では次に起こることをイメージすることで危険を回避する。同様に、ネット上のある行為が次に何を起こす可能性(潜在リスク)を持つのかという健全な猜疑心を養うことが、ネット社会には必要なのだ。
この情報リテラシーを芽生えさせ、育むことも企業市民として私たちの社会的責務である。